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装丁読解 『思想地図β vol.2』

 昨日は『ゴーストの条件』について装丁読解を行ったわけだが、あれをやった以上はこれを取り上げざるをえまい。というわけで、本日は奇しくも『ゴーストの条件』と同日発売になった、東浩紀を編集長とした思想誌『思想地図β vol.2』の装丁読解を気の赴くままにすることにする。

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 まずはじめに、東浩紀読者が本書を手に取ったとき、それも読者期間が長ければ長いほど、最初に感じる違和感は表紙が写真であることではないだろうか。特集が「震災以後」とのことなので、この装丁は至極正しいということもできるのだが、少なからず今までの思想地図シリーズは表紙がイラスト、もしくは文字のみで構成されていたはずだ。
 かつての同人誌とは形態がすでに大きく異なっているとはいえ、以前に東が出版した同人誌『美少女ゲームの臨界点』は思想を扱いながらも、表紙はあえてアニメ風に描かれた風景だったり、美少女の絡みだったりした。それがここに来て一変、写真を採用したのである。写真を表紙とした思想系ミニコミ誌といえば、どうしても『PLANETS』を思い出さずにはいられないが、あれは人物、しかも見目麗しい人物ばかりが表紙であるがゆえに、今回の『思想地図β vol.2』とは明らかに一線を画している。

 ここにきてなぜ東が写真、それも風景写真を採用することにしたのか。何もリアルに阿ったというわけではあるまい。もしそうであれば、今までさんざん語ってきた「動物化」とか「ゲーム化」はどこへいったのかと問いただしたくなるところだが、私が思うに彼は、震災を契機として二次元からの抽出をとうとうあきらめてしまったのだと思う。
 とうとう、である。以前の『思想地図』にてアーキテクチャやショッピングモールを扱いながらも、彼は皆が望む形でそれなりに二次元からの抽出を試みていた。それが震災を経て、ずっと暮らしてきた東京を一時離れ、彼は二次元ではなく三次元にその思想の中心をおくことに決めたのだ。
 震災以後に彼を支配したであろう「あきらめ」は、日経ビジネスオンラインに掲載された「ショッピングモール的、インターネット的復興の仕方」に詳しい。
 日本において社会は、建築物は、すべてが壊れてしまうものであるという真理。それはおそらく正しい。すべて壊れ失われ、またいずれ巡ってくる。災害に対して日本という国が異様な強度を誇るのは、おそらく四季という背景があるからに他ならないと思うが、それでも災害は四季のように予想することはできない。すべては突然――なのである。
 二次元は人間が創造するが故に何でもありだが、その一方で万人の予想外であることはあり得ない。なぜなら、どうしたところでそれは人が考え、創り上げたものだからだ。予想外の展開だった! という感想も、二度目はない。だが、災害は違う。二度目も三度目でも、そこでは予想外のことしか起こらない。相手は自然、決して人間の考えなどを聞き入れてはくれないからだ。
 言い方は悪いだろうが、魅了……されてしまったのではないだろうか。予想外の出来事から真理を抽出しようという行為。三次元から三次元を導き出すという過程。その時彼にとってもはや、二次元の世界は人間にとって予想範囲内のおもちゃと化したのだ。それはあくまで楽しむもので、真理を抽出する対象足りえなくなっってしまったのだ。
 おそらく彼は、いい意味であきらめてしまったのだろう。あきらめは一つの前進である。あきらめ、次へ行くこと。次にコマを進めるということ。もしかすれば、これが大人になるということなのかもしれない。

 三次元の哲学を構築するには三次元でしか語れないと彼が結論を下したとしても、それでも私はあえて二次元に期待をし続けようようじゃないかと思う。もはや彼があきらめてしまった、二次元から三次元への抽出を――私だけはもう少しばかり、続けてみようと思うのだ。人によって生成されたすべてが予想範囲内でありながら時に人の意表を突く二次元という世界に、もう少しばかり私は三次元の真理を求めてみようと思うのだ。

 ぼくたちはばらばらになってしまったと編集長の東は述べる。だが私は、あの日以来の日本は、目に見えない糖蜜でべたべたに引っ付いてしまったような気がしてならないのだ。みんながいるとか、がんばろうだとか。君は一人じゃない――とか。かつてはそれなりにあったあはずの距離を、とることすら許されなくなってしまったような現状を、私はひそかに危惧している。だって、そうだろう? 皆が皆、原発を気にし、復興を願い――戦後、これほどまでに日本という国が一体化したことがあっただろうか? 皮肉にも、一丸となってサッカーのなでしこジャパンや東北支援をする芸能人たちをもてはやしたことがあっただろうか? これが目に見えない糖蜜という以外に、なんと比喩することができるのだろうか。


 今日は少しばかり長く語ってしまった。やはり今日も、まだ内容を読んでいないので、これから私が考えることは二転も三転もするだろう。繰り返し言うが、あくまで装丁読解。装丁とタイトルだけを見て、勝手気ままに書きつくすのがこの論の趣旨であるがゆえに、その点については何分ご容赦願いたい。

 それでは、世界の終わりが訪れることがなかったならば、再びこの場でお会いしましょう。
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No title

眼に見えない糖蜜と、私も少し感じました。つながろうつながろうと無理するゆえにますます孤独になるように私は思いました。つながろうと必死になってつながることができない孤独を思想地図の冒頭を読んで個人的に感じました。

Re: No title

はじめまして、コメントありがとうございます。無意識のうちにつながっているくせに、自らは孤独と思いこむ。それってかなり不気味な状態なんじゃないかと私は思うのです。『思想地図』を読んでの見解もいずれ上げていきたいと思っています。
プロフィール

雑賀 壱

Author:雑賀 壱
小説家・批評家・哲学屋。
臨床検査技師として環境医学を専攻。
名古屋市出身、東京在住。

twitter ID:Saigaichi
E-Mail:日刊 サイガイチ

2010年 第6回短編恋愛小説「深大寺恋物語」深大寺そば組合賞受賞
2009年 アニメ化物語オフィシャルガイドブック(講談社刊)「回文仕掛けのナイトメア」

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